梅毒という病気について:歴史的観点から-その1

2022年6月23日

こんにちは。Dr. Racyです。

梅毒という病気をご存じでしょうか。性感染症で、昨今では「鬼滅の刃」の敵役のモデルになったのではないかなどと噂されていますね。

また東京都では2015年ごろから流行が拡大し、2021年からはさらに拡大しています。

今回は、梅毒という病気を臨床的な観点ではなく、歴史的、文化的観点からみてみようと思います。

梅毒は神罰だった?

ヨーロッパで梅毒が流行した最初の記録は1493年ごろのイタリア・ナポリと言われています。当時ナポリはフランス軍の侵攻を受けており、侵攻に失敗したフランス軍が北に帰還する際に梅毒を持ち帰り、全ヨーロッパで爆発的に流行したといわれています。

そんなわけで当初梅毒はフランス軍と結び付けて考えられ、「フランス病」と言われていました。

梅毒の英語名(といってもラテン語ですが)"Syphilis"が命名されたのは1530年のこと。イタリアの医師で詩人のGirolamo Fracastoroが"Syphilis sive morbus gallicus"という詩を書きました。

「羊飼いの少年Syphilisが羊を見失ったことを神のせいにし、怒った神が罰として地上に疫病をもたらし、Syphilisはその最初の犠牲者となった」という詩です。

これが現在の英語名のもとになっているようです。当時の社会で梅毒がどう捉えられていたかは不明ですが、少なくとも名前の上では神罰ということのようです。(参考文献[1])

めぐる名前

梅毒は性感染ということも相まってごく初期から差別の対象でした。しかし政治的には敵国のイメージダウンにつなげるための絶好のツールだったのです。

イタリア、ドイツ、イギリスは「フランス病」と命名しました。

フランスは「ナポリ病」と命名しました。

ロシアは「ポーランド病」と命名しました。

ポーランドは「ドイツ病」と命名しました。

デンマーク、ポルトガル、北アフリカは「スペイン病」と命名しました。

トルコ人は「クリスチャン病」と命名しました。

また、北インドにおいてはムスリムが梅毒をヒンドゥーのせいにしました。

ところがヒンドゥーはムスリムとヨーロッパ人のせいにしました。

しかしながら、数年前、COVID-19を中国と関連付けた名前で呼んでよいのか物議をかもしたように、病気や病原体を特定の国家や民族の名前にすることは明らかに差別的要素を含むことになりWHOでも推奨されていません。

この名前の押し付け合いで最も苦しんだのは差別を助長された患者たちでしょうし、いまなお差別がはびこる現代において我々も笑って済ますことのできない歴史でしょう。(参考文献[2])

コロンブスより前か、コロンブスより後か、それが問題だ。

梅毒の起源については多くの研究がなされていますが、いまだ一定の解決をみていません。
なかでも大きな問題になっているのが「コロンブスの帰還(1493年)より前にヨーロッパに梅毒は存在したか否か」ということです。

一つの仮説は「梅毒はアメリカ大陸からコロンブス一行によってヨーロッパに持ち込まれたものである(Colombian hypothesis)」です。

もう一つの仮説は「新大陸が発見されるずっと前から梅毒はヨーロッパに存在した(pre-Columbian hypothesis)」です。

人骨の研究によると新大陸には7000年前から梅毒、または類似の感染症は存在したようです。しかしコロンブス以前のヨーロッパや北アフリカの人骨からは梅毒を示唆する所見はいまだ見つかっていません。

最近の遺伝系統学の研究では「コロンブス以前に梅毒以外のトレポネーマは存在したが、コロンブスの後悔が梅毒の大流行を引き起こした」という説を支持するようです。

「存在しない証明」は「悪魔の証明」とも呼ばれ非常に難しいです。高校数学でも「存在しないことを証明せよ」と言われたら「存在すると仮定して矛盾を導く」背理法を用いるのが定石ですよね。

500年前の船団が世界の感染症地図を変えたかもしれないというのはなかなか歴史にロマンを感じずにはいられません。(参考文献[3])

まとめ

その1では梅毒の名称と起源の諸説について見てきました。古くからある感染症はそれだけで歴史的興味をそそるものですね。

その2では梅毒の治療法の歴史や近現代の人道問題について見ていきます。

参考文献

  1. C. Franzen (2008). Syphilis in composers and musicians—Mozart, Beethoven, Paganini, Schubert, Schumann, Smetana. , 27(12), 1151–1157. doi:10.1007/s10096-008-0571-x https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18592279/
  2. Tampa, M., Sarbu, I., Matei, C., Benea, V., & Georgescu, S. R. (2014). Brief history of syphilis. Journal of medicine and life7(1), 4–10. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3956094/
  3. David Farhi; Nicolas Dupin (2010). Origins of syphilis and management in the immunocompetent patient: Facts and controversies. , 28(5), 0–538. doi:10.1016/j.clindermatol.2010.03.011 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20797514/